中学1年6月
6月から五月雨登校となり、7月から完全不登校へ。
学校と両親が話しあい、公立の相談機関で心理検査なども受ける。
中学1年9月
不登校が本格化し、適応指導教室も検討するが、4日間行って挫折。
この時期からスクールカウンセラー(SC)と親のみ相談。
市の教育相談も利用するが、精神科の医師から中学校での登校は無理と言われる。
大学病院のメンタルヘルス科を受診するが、息子本人がいじめが原因と医師に言い「ゆっくりしましょう」と言われる。
親も、子供から意識を離していた時期。
中学1年2月
楽しい不登校状態。
毎日、パソコンとゲームの日々。言動にネットの悪影響が出始める。
勉強をしようとしても、さっぱりわからなくなっている。このままではいけないと、親も方法を再度探しはじめる。
私立のフリースクールを見学にいくが、息子本人が適応指導教室の方が良いといい、再度適応指導教室に行くようになる。
中学1年3月
適応指導教室に週3回、通いはじめる。
しかし午前中の勉強の時間ではなく午後の遊びの時間のみ行く。今日は無理ということも多い。私の中で、好きなときに行くこれではいけないという思いがふくらむ。
適応指導教室の先生から、年度末の懇談で、教室への登校の促しをするように言われ、息子と再び向き合う。
新学期から学校へ行って見るとの言葉を聞き、学校との打ち合わせなど準備をはじめる。
中学2年4月
新学期から飛び飛びに3日間登校するが、4日目に息子が爆発。
もう親にできることはないという思いが強く、復学支援機関ファーストホームエデュケーション(FHE)へ支援を依頼。
この時期、高2の娘も五月雨登校がはじまる。
中学2年5月
支援依頼1ヶ月後、代表の先生が登校刺激に入られる。
息子の学校へ戻りたいの意思確認と同時に訪問の先生も導入。
息子のコミュニケーション能力の幼さを指摘される。この時点で、このまま放っておいたらしゃべれなくなったり、引きこもりになることも考えられる。ギリギリの線だったと言われる。
6月には娘の状態が最悪となり、欠席・遅刻の常習となる。
クラス・部活とも居場所のない状態だった。娘への支援も開始。
中学2年7月
息子が1年ぶりに、中学校へ復学。
しかし夏休みまでの2週間の間に欠席。継続登校の難しさを痛感する。
2学期の9月早々に祖母が亡くなり再度欠席。連続登校が7日をこえることがなく、12月になり、始めて欠席が0となる。
この間、訪問カウンセラーが継続的に入り、学校でのストレスや問題に対応し息子を支えてもらう。クラスメイトとのいざこざや、体臭の問題など細かく対応してもらう。
中学2年3月
息子は、一応の落ち着きを見せるが、高2の娘が進級問題で荒れてくる。
パソコン依存が顕著となる。
中学3年4月
継続登校が徐々に安定しはじめる。それでも、定期テストは1桁の点数と勉強面での問題が残る。
夏休みに受験対策として、個別塾を導入。勉強がわからないイライラから夏休みに爆発。
11月には、受験の動機付・高校への意欲の引き出しを行う。
12月に高校見学を行い、本人もこの高校へ行きたいと口にするようになる。
高3の娘は、大学受験のプレッシャーからネットへ逃避。パソコン問題でもめる。
中学3年1月
息子は高校受験前の一ヶ月、学校以外に塾で缶詰状態。
かなり無理をしながらの受験となる。それでも、息子本人が納得しての受験だったためもう嫌だとは言わなかった。
娘・息子ともに受験。合格をいただく。
高校1年4月
高校(息子)・大学(娘)と新しいステージで、挑戦中。