小学4年生10月
秋頃から体調がすぐれず、学校でも保健室に行くことが多い。
起立性調節障害(OD)の薬を飲ませ、励ましなんとか登校させる日が続くも、10月最後の金曜日を境に学校へ行けなくなる。
病気のせいで朝が起きれない、治れば行けるはずと思い、娘を不登校とは認めたくなかった。
大学病院を紹介され、親子でカウンセリングを受けるものの、娘は2回目以降診察を拒否、親だけが相談に行くことになる。
そこで言われたことは、「エネルギーがたまれば必ず動き出すから、今はストレスのかからない生活をし、親も息抜きをしながら待ちましょう。子どもと楽しい時間を5分でもいいから必ず持ちましょう」
小学4年生11月
休むことで体調は少しずつ良くなっていくものの、学校へは行かない。
体調の良さそうな時に「午後からでも行ってみる?」と何度か誘導してみるが途端に拒否、「まだ無理、行けるほど良くない」と言う娘の言葉に、どうしていいかわからず、毎日24時間一緒にいて一緒に遊ぶ。
この頃は一緒に遊んでいても心から楽しいとは思えず、娘の笑顔もどこか淋しそうだった。
娘のストレスの原因は担任の先生の態度にあった。
そのことを学校に伝えると、先生が訪問され謝罪されました。
本当にこの先生が悪いんだろうか、他の子は普通に登校してるのに、私はどこかで違和感を感じていた。
小学4年生12月
学校を休みだして一ヶ月以上、娘はお風呂も入らず歯も磨かない、典型的な不登校児の生活になる。
我慢もきかず、わがままも増え、それでも今は毒を吐き出してる時期なんだと必死に受け止めようと努力する。
その頃、「不登校を克服した母の会」を知り、HPを50枚ほどコピーし本も注文して読む。
そこに書かれていた「母親の法律」がそれまでの子育ての間違いを気付かせてくれ、親が変わることの大切さを知る。
小学4年生1月
母親の法律に従って、私からは提案しない、学校へ行かせることを考えるのではなく、まず私が子どもへの対応を変えること、結果は必ずついてくるものと信じ親が変わることに集中する。
恥ずかしながら、娘が寝る布団を敷いてあげたり一緒に寝たり、それが当たり前のようにやってあげていたこと、おかしなことがたくさんあることに気付く。
娘は次第に変わっていき、前向きな発言も出てくる。
私が学校へ相談に行く日に一緒に保健室登校したり、自分から動き出そうとしていた。
小学4年生2月
前向きになってはいてもOD症状はまだあり、気持ちに体がついていかないような状態。
無理しなくていいよ、と言いたい気持ちを抑え娘が自分で決めて自分で動くことが出来るように、常に頭で「母親の法律」を唱え、私は私で自分との戦い。
あと一歩というところまできているように思えた。
小学4年生3月
市の適応教室に希望して行き始め、そこをステップに学校に戻る。
4年生は残すところ一週間なかったが、5年生になる前に復学したいという思いをなんとかかなえる。
その後、継続登校では何度も危ない橋を渡るが、6年生では皆勤賞、そして中学生になり、毎日部活に勉強にと充実した中学校生活を満喫中。