メルシー家

【家族構成】(復学時の学年)

☆夫

☆私

☆長女(小6)

★次女(小5)

 

【ブログ】

思春期の君たちへ

 

小学4年3月~小学5年4月

小4~小5になる春休み、鬱状態になる。

頭痛、めまい、立ちくらみ、吐き気、全身の痛み等の症状もあり。

 

5年生になると、五月雨登校が始まり、徐々に学校に行ける日が減っていく。

 

5月末に、病院で、起立性調節障害(OD)+「ODによるうつ」と診断。

薬を処方され飲んでいましたが、症状に変化なし。

 

小学5年7月

OD治療の第一人者であると評判のクリニックに転院。「OD」「うつ」「不安神経症」の診断を受ける。

 

大量の薬を処方されましたが、激しい副作用があり。

この病気は薬では治せないと気づき、すべての薬の服用を中止。

その頃にはもう、次女は学校に行けなくなる。

 

ODの子どもを持つお母さん達と交流をするようになる。

「ODは病気です」「病気なのだから、学校には行かなくていいのよ」

「学校に行けなくても、好きな事なら出来るはずだから好きなことをさせてあげましょう」

「一緒にお出かけしたり、遊んだりして、楽しく過ごしましょう」

等のアドバイスを受け、一時的に気持ちは救われたが、状況は変わらず、むしろ悪化していくように感じる。

 

ODの子どもを持つお母さん方と交流する中で、お母さん方の性格傾向や価値観、子どもの育て方、家族状況等に、

自分も含め、共通項が多いことに気づく。

 

もしかして、何かしらの関係があるのではないかと思い、『ウチの子はなぜODになったのか?』ということを、独学で徹底的に調べるようになる。

そこから解決の糸口が見え始め、自分の『親としての在り方』を見直すようになる。

 

週に1~2日、気分によって1、2時間程度、相談室登校をするようになる。

 

その頃、私はネットで「登校拒否を克服した母の会」を知る。

『学校に行けないのはお母さんのせいですよ!子どもが可哀想です』

 

私は、その後の人生を大きく変えることになる『母親の法律』に出会った。

それまでの子育てのやり方を、根底から覆すような『母親の法律』に出会い、本を取り寄せ、一つひとつ実行していく内に、次女は驚くほどにイキイキとし出す。

 

同時に、親業等を始めとする沢山の本を読んだり、講演会に足を運んだりしながら、自分なりに学び、親が変わることを学び、実践していく。

その頃、キララさんと出会い、支えて頂く。

 

親が変わることで、次女に変化が表れ、自立心や協調性、素直さが出てくる。

クローゼットに耳を塞いで引きこもっていたのが、外に出てくるようになる。

風呂にも入らなかったのに、清潔にし始める。

依存心が強く、同じ家の中にいるのに私の姿が見えないだけでパニックを起こしていたのに、私がしばらく外出しても大丈夫になる。

赤ちゃんのように世話を要求していたのが、自分で何でもするようになる。

表情がみるみる明るくなり、自信を感じさせるようになる。

 

学校のことを気にするようになり、「本当は学校に行きたい。でもどうしたらいいかわからない」という言葉が頻繁に出てくるようになる。

しかし、きっかけをつかめず、その先の一歩を踏み出せずにいた。

 

小学5年10月

長女の担任の先生に相談すると、家に来て下さり、話し合いの末、一気にとんとんと教室復帰の段階へ。

 

教室復帰!不登校克服!

 

その後、10日に1度位のペースで休むことが続くが、復学支援を受けたお母さん方のブログや、支援の先生方のブログや本に出会い、休んだ時の対応や、心構えを学び、休まずに登校出来る子どもに成長。

 

小学6年4月

引越しにより転校する。

馴染めずに数日休んでしまう。

 

更に親として学び続け、休まずに行ける子に。

 

小学校6年生、中学校1年生、

休むことなく皆勤賞をもらえる子どもに成長!