フルーツさんの体験談
娘が学校を休み始めたのは小3の5月でした。
休み始めは体調不良が理由でしたが、次第に「学校へ行きたくない」と表現するようになりました。
理由を聞き出そうと、友達か?先生か?何か嫌な出来事があったのか?と問いただそうとしてみても、どれも「違う」としか言いません。
担任の先生、スクールカウンセラー、相談所等に相談してみても、具体的な解決策は得られません。
待ちましょう
不登校や子育てに関する本をたくさん読みました。そこには、「待ちましょう、甘えさせてあげましょう」と書かれていました。
たくさん甘えさせて子どもの願いを聞くようにしました。
やがて子どもには、荒れた行動や幼い行動が増えていきました。
私はそんな娘の状態が少しでも良くなっていくようにと願いながら、子どもの要求の一つ一つを更にかなえようと、まるで召使のように接していきました。
過保護型の不登校
そんな時、慣れないネットで「不登校」と検索をかけ情報を探していたら、復学支援機関のHPで不登校の種類として「過保護型」と書かれている文章を見つけました。
我が家の状態はこれだ、こういうところに原因があったんだ、と納得しました。
復学支援機関に相談
早速電話をし代表カウンセラーの先生とお話した時には、それまでに相談したところとは違って、具体的な解決法、見通しを話してくださいました。
この方法で、娘は再び元気に学校に通える子になれるんだ、と希望が見えた瞬間でした。
その後、初回カウンセリングを受け支援を依頼しスタートしました。
すぐに会話ノート添削と電話相談が始まり、子どもへの接し方や親としての考え方等一つ一つ教えていただき変えていきました。
やがて子どもにも変化が表れてきました。
復学支援のスケジュールも順調に進み、小3の11月に再登校出来ました。
学校に戻った娘は、毎日の学校生活で様々な経験をしながら成長しています。
私も、娘の成長の役に立つ関わり方ができるように、これからも学び続けたいと思っています。
きのこさんの体験談
初めは学校に行けなくなった子供を主人と共に責め、本人を変えようとしました。
同時に理由をしつこく聞きだそうとし、自分はこうして不安を乗り越えたと価値観を押し付けました。
子供は心身症のような症状をだし始めました。
学校からの紹介で市の相談機関に行ったり、スクールカウンセラーの先生に話しを聞いて頂いたり、本を読んで調べたり・・・。
また催眠療法を受けたら本人が変わるかと私だけが試しに催眠をかけてもらったりもしました。
不登校を認める
ある相談機関で「今、子供さんは成長されています」と言われます。この言葉に救われ、親が変わる(不登校を一旦認める)という方向にいき、子供を見守っていこうと思いました。
子供は、昼夜逆転し、ゲーム三昧の日々を過ごし一時見せていた心身症の症状はナリを潜めだしたのでホッとしました。
「元気になったら登校刺激をかけてください」
こう市の相談機関から言われていましたが学校の話しをすると子供は苦しそうです。
やがて、学校に行かなくてもいろんな人生があると思い子供にそれを告げました。
「そのままのあなたが大事だよ」と
「学校に無理矢理行けって言ってごめんね」と子供に伝えました。
子供は言いました。
「お母さんがそんな事言うと思ってなかった。僕、学校行くわ」
でも、いつまでたっても行けませんでした。
私は「いいよ。いろんな人生があるし」と再度子供に伝え、
不安がる家族を説得しながら、またゲーム三昧の日々を送る子供を見守っていました。
その内、「死にたい」「もう僕の将来はない」などの否定的な言葉を並べる日が続きました。
そして、ある日私の気持ちを変える決定的な言葉を言いました。「お母さん、僕学校行きたいのに行かれへん!」
長く休むうちに、子供の不安が膨らんでいったのでしょうか。
私は親が変わると言うのは不登校を認めるというのではなく、親の子への接し方を変えるべきだったのかなと思いました。
家族療法と復学支援との出会い
自分の育て方や家族の関わり方はどうだったかと振り返る事で家族療法に興味を持ち、復学も視野にいれながら色々なサイトを検索しました。
そこで復学支援機関や復学された方々のブログと出会う事ができました。
心が決まって、また家族と相談して代表の先生とお会いしてから、学校に復学支援を決めたことをお話しさせて頂きました。
学校の先生方は戸惑っておられました
「そういう民間の機関を使って復学された方を今まで知りませんので・・」と。
お金の事も心配してくださり最後まで市のフリースクールや別室登校を薦めてくださいましたが、私は代表の先生とお会いして気持ちは固まっていました。
学校の先生方に言いました。「今までされた方がいないなら尚更の事、復学できたのなら今同じ状況の方にこんな方法もあると先生方から言ってあげてほしいし、ダメだったらそれで私は勉強代を支払ったと思えばよいことなので後から先生方の参考にして頂けたらと思います」と。
その後、訪問の先生の学校訪問があり、学校の先生方も色々協力してくださいました。訪問の先生のおかげで子供自身も友人とも関わっていく事ができるようになりました。
本人の弱い部分は、代表の先生が引き締めてくださいます。
復学1ヶ月後
今復学してから1ヵ月以上が過ぎ、子供は毎日頑張って学校に通っています。
失敗もしますし、勉強にもついていけてないし、友達と色々あって悩んだりもしてるようですが、もう「死にたい」とは言いません。
ゲームをしながら何も考えていないようで、心の底で死を考えていた我が子が、今学校で揉まれながらも、あの頃の歪んだ笑顔ではなく本当の笑顔で笑っています。
まだこれから継続登校という試練を乗り越えなければなりませんが 、でも私には乗り越えていけるという確信があります。前を行く先輩方の歩かれた後を見ていますから。
色んな人生があるのは本当です。
確かに学校に通わなくても、積極的に不登校を選んだ子なら自分で道を切り開いていくでしょう。
でもうちの子のように行きたいのに行けなくて苦しんでいる子供さんの場合は、是非ともお母さんに復学支援というものがあるんだという事もわかって頂きたいです。
復学3ヶ月後
今は息子が復学して3ヶ月近くなりますが、やはり山あり谷ありで決して平坦な道ではありませんね。
いい時ばかりではない継続登校の難しさを感じる日もあります。
何よりちょっとしたことで親の私のほうが不安になったりするからです。
復学された方々のブログでもわかるように、復学支援機関の支援というのは、やはり復学したら終わりではありませんでした。
これから子供が自立して生きていけるように、親がどう対応すればよいか今だけを見ず
先を見据えたアドバイスをくださいます。
時にはへこたれそうな子供をしっかりささえてくださる先生方のコーチングや、子供の不安を拭いさるような訪問の先生方のフォローがあり、親も子もこれからすべき事をわかっていくような気がします。
ブログで拝見していたままでした。
見逃していた息子からのサイン
今になって不登校が落ち着きそうな頃のメモを読み返して気づいたんですが、ちょうどクリスマスの頃で下の子が小さいので何のプレゼントがよいか聞いていたら、不登校になっている息子が
「僕は、ゲームと…学校に行きたい」
と言っていたんですね
私はその時何と言ったのでしょうか?
不登校を認め始めた頃で、成長を急いではいけないと思っていたので「そう」とでも言って流したんだと思います。
その時に私のした返事は書いていなくて、息子に向けて、(焦らなくていいよ)とメモしていました
息子が「死にたい」や「学校に行きたいのに行かれへん」と言う少し前の事です。
息子がだした1回目のサインを見逃していました。
私がその後支援機関に支援をお願いして1回目のコーチングをうけてからも、息子の不安は大きかったと思います。
でも二度目のコーチングを受けた時、息子は支援の先生に感謝していると言いました。
そしてあれだけ「学校が怖い」と言って心身症のような症状をだしていた息子が再登校をして帰宅した時の第一声が、
「学校、思ったより怖くなかった」でした。
心からよかったと思えた瞬間でした
支援を決断した時、周りの方々に中々理解してもらえない事もあります。ただ、息子を見ていると我が家の場合は、復学を選んでよかったと思います。
もちろんいろんな考えがあって当然です。
だから子供が違う道を望んでいるなら復学が全てではないという事もわかります。
実際、初めて代表の先生にお会いした時も、無理やり復学を薦められた訳ではありません。
まずはどういう道あるか、と幾つかの選択肢を示してくださり、こちらの意向を聞いてくださいました。
ただ、「夫婦が同じ方向を向いていてください」と言われ、私達は復学を選んだのです。
今不登校で悩んでいる方へ
もし、お子さんが不登校になってしまい出口が見つからないなら、復学したいけどどの機関に頼んでよいかわからないなら、復学された方々のブログや、支援機関のホームページ、先生方のブログを参考にされてみたらどうかと思います。
そして、どの方向に進めばよいか迷っている方は、子供さんの心を感じ取って、どうぞ私のようにせっかくだしてくれていた子供のサインを見逃さないでください。
苦しむ人はひとりでも少ない方がよい・・・。
親の会で出会ったお母さん達や、同じ立場を経験されてなんらかの方向へ進めた方なら皆さん感じておられると思います。
ひとりで悩まないで、そして、あきらめないでいてほしいと今辛い思いをされてる方に伝えたいです。